タイパ至上主義への静かな反逆。「効率」を捨てた人々が2026年に見つけた、泥臭くも愛おしい選択肢
これが 好き だから。その一言だけで、すべての説明を放棄して自分の熱狂に突き進む人々が今、急増している。タイパ(タイムパフォーマンス)やコスパが社会のOSとなった2026年、私たちはあらゆる行動に「合理的な理由」を求められるようになった。しかし、その息苦しい最適化の檻を壊すのは、いつの時代もロジックではなく、理屈抜きの衝動だ。
スマートウォッチが睡眠の質をスコア化し、AIが今日の最適な献立を提案する時代にあえて手間のかかるアナログカメラを持ち歩き、現像に数日待つ若者たちがいる。彼らに理由を尋ねると、「ただこれが 好き だから、それ以外に言葉はいらない」と笑う。この一見すると非効率極まりない選択こそが、デジタル過剰社会における最大の自己防衛策なのかもしれない。
効率化の果てに訪れた「感情の砂漠」

2026年、生成AIは日常に完全に溶け込んだ。仕事のメールも、旅行の計画も、数秒で最適解が提示される。無駄はない。失敗もない。だが、何かが足りない。合理性を突き詰めた先にあるのは、平坦で均一化された世界だ。誰もが「正解」をなぞるだけの毎日に、人々は静かに疲弊し始めている。
便利さを追求した結果、私たちは「自分で迷い、選び、失敗する」という人間らしいプロセスを奪われてしまったのではないか。その反動として、今あえて面倒なプロセスを求める動きが加速している。
あえて「不便」を買う若者たち
都内の路地裏にある小さなレコード店。平日の夕方にもかかわらず、20代の若者たちで賑わっている。サブスクなら月額数百円で数千万曲が聴ける時代に、彼らは1枚数千円のプラスチックの円盤を買い、わざわざ針を落とす。
ノイズ混じりの音が部屋に広がる瞬間、そこには数値化できない「手触り」がある。タイパ重視の視点から見れば、これは完全な時間の無駄だ。しかし、彼らにとってはその無駄こそが、所有しているという確かな実感を与えてくれる。手間をかけること自体が、贅沢な体験へと昇華しているのだ。
アルゴリズムに支配されない「聖域」の作り方
SNSのレコメンド機能は、私たちが「好きになりそうなもの」を正確に予測する。しかし、それは過去のデータの延長線上に過ぎない。予測可能な未来に、本当の驚きや感動はあるだろうか。
アルゴリズムが提示する「おすすめ」をあえて無視し、自分の足で歩き、偶然出会ったものに心を奪われる。その瞬間、私たちはシステムの支配から抜け出す。誰かにとっての「ゴミ」が、自分にとっては「宝物」になる。その主観的な価値基準を取り戻すことこそが、現代における自立の第一歩だ。
「意味があるか」という問いからの解放
「それ、何のためにやってるの?」という問いは、現代社会において最も暴力的な質問の一つかもしれない。副業に繋がらない趣味、キャリアアップに役立たない勉強、SNSで映えないニッチな収集活動。それらはすべて「無駄」と切り捨てられがちだ。
だが、役に立つかどうかだけで人生を埋め尽くしてしまえば、私たちはただの「機能的な機械」になってしまう。何の意味もなくても、誰に褒められなくても、ただ心が動くからやる。その無目的さこそが、人間の精神を健やかに保つシェルターとなる。
2026年、私たちが本当に取り戻すべきもの
誰かに説明するための理由は要らない。他人の評価も関係ない。自分だけの「好き」を抱きしめることは、極めて個人的で、かつ強力な抵抗の意思表示だ。
効率化の波に飲み込まれそうになったとき、立ち止まって自分に問いかけてみてほしい。最後に「理屈抜きで心が躍った瞬間」はいつだっただろうか。2026年を生きる私たちが本当に求めているのは、完璧な正解ではなく、不完全で泥臭い、自分だけの体温なのかもしれない。 (出典: これが 好き だから(Yahoo!ニュース))