令和の閉塞感を打ち破る?WANIMA「やってみよう」が2026年の今、再びバイラルチャートを逆走する理由
wanima やっ て みよう――このフレーズを聞いて、あの弾けるような笑顔と疾走感あふれるメロディが脳内に再生されない日本人はいないだろう。2017年にauの三太郎CMソングとして日本中を席巻したあの名曲が、2026年の今、SNSやストリーミングプラットフォームで異例のチャート逆走を見せている。単なる懐メロの枠を超え、現代の若者たちの背中を押す「最強のアンセム」として再評価されているのだ。
最近のTikTokやInstagram Reelsでは、就職活動に悩む学生や、新たな挑戦に踏み出す起業家たちが、自身のリアルなドキュメンタリー動画のBGMとしてwanima やっ て みようを起用する例が急増している。かつてのお茶の間向けCMソングは、時を経て、泥臭くもリアルな人生のBGMへと変貌を遂げた。この現象は一体何を意味しているのだろうか。
2026年の閉塞感に効く「超ストレートな肯定感」

なぜ今、この曲なのか。その背景には、2026年現在の日本社会が抱える独特の空気感がある。長引く物価高や不透明な将来への不安から、若者たちの間には「どうせやっても無駄だ」という無力感が漂いがちだ。そんな冷めた日常に、KENTAの突き抜けるようなハイトーンボイスと、「正しいより 楽しいやり方で」という歌詞が直球で突き刺さる。
賢く生きることが推奨されるタイパ(タイムパフォーマンス)重視の時代だからこそ、あえて泥臭く打席に立つことの尊さを説くこの曲が、デジタルネイティブ世代の心を揺さぶっているのだ。スマートにこなすことだけが正解ではない。そう思わせてくれる泥臭さが、今の時代には決定的に不足している。
アルゴリズムが呼び覚ました「あの頃の熱量」
今回の再ブレイクの導火線となったのは、やはりSNSのアルゴリズムだ。数ヶ月前、ある無名の若手クリエイターが投稿した「脱サラして地方でパン屋を開業するまでの100日間」というショート動画がバズった。その背景で流れていたのが、この曲のサビだった。
そこから火がつき、アスリートの練習風景、受験生の勉強記録、さらにはシニア世代の新しい趣味への挑戦など、あらゆる「泥臭い挑戦」の瞬間にこの楽曲が紐付けられるようになった。かつてテレビの向こうから流れてきた歌が、今や個人のスマートフォンの画面から、それぞれの人生のテーマソングとしてリアルタイムに鳴り響いている。
イギリス民謡「ピクニック」をロックに変貌させた音楽的エジソン
音楽的な側面からも、この楽曲の強度は色褪せない。原曲は誰もが口ずさめるイギリス民謡「ピクニック」だが、WANIMAの手によって爆発的なパンクロックへと昇華されている。この「誰もが知っているメロディ」という親しみやすさと、「誰も真似できない熱量」のハイブリッドこそが、彼らの真骨頂だ。
スリーピースという最小限のバンド構成でありながら、スタジアム全体を揺らすほどの音圧。そして、聴き手を置き去りにしない圧倒的なポップセンス。一度聴けば耳から離れないキャッチーさは、リリースから約10年が経過しようとする今も全く古びていない。むしろ、情報過多な現代において、このシンプルさこそが最大の武器になっている。
世代を超える「やってみる」精神のバトンパス
面白いのは、2017年当時にこの曲をリアルタイムで聴いていた世代が、今や社会の中核となり、次の世代へこの曲を「手渡して」いる点だ。当時小学生だった子どもたちが大学生や新社会人となり、今度は自分たちが主役となってこの曲を口ずさんでいる。
「失敗してもいいから、とりあえずやってみる」。このシンプルな哲学は、どれだけテクノロジーが進化し、AIが台頭する社会になろうとも、人間にしかできない泥臭い特権として残り続けるだろう。WANIMAの音楽は、その特権を行使するためのガソリンなのだ。
WANIMAが今、ライブハウスから叫ぶメッセージ
WANIMA自身も、常に挑戦を止めないバンドだ。熊本から上京し、インディーズシーンから一気にスターダムへ駆け上がった彼らの歩みそのものが、「やってみよう」の体現に他ならない。
彼らは今もなお、巨大なフェスだけでなく、地方の小さなライブハウスをドサ回りすることを厭わない。泥にまみれ、汗を流し、目の前のオーディエンスと一対一で向き合う。その姿勢が変わらないからこそ、彼らの言葉には嘘がなく、2026年の冷え切った僕たちの心を温め続けることができるのだろう。彼らの旅は、まだ始まったばかりだ。 (出典: wanima やっ て みよう(Yahoo!ニュース))